2008年05月16日
水原監督時代
昔からすごい人気だったんですね。
1950年に復帰した水原茂を監督に据えて、リーグ分立1年目の同年こそ優勝を逃すものの、翌1951年からは同年に獲得した与那嶺要の活躍もあってリーグ3連覇、日本シリーズでは1リーグ時代からの宿敵南海を3年連続で降し日本シリーズ3連覇を達成。第2次黄金時代を築き上げた。1952年8月8日、広島11回戦の勝利で日本プロ野球史上初の公式戦通算1000勝を達成。1000勝時点の通算成績は1000勝518敗38分、勝率.659。1953年には初めての海外キャンプをサンタマリアで行う、この年は開幕から一度も2位に転落することなく優勝、シーズンを通しての1位独走優勝は球団史上唯一の記録である。
1954年は杉下茂擁する中日ドラゴンズに優勝を奪われ2位となるが、1955年にはリーグ優勝。日本シリーズではナ南海ホークスとの対戦となり、1勝3敗からの3連勝して逆転日本一を達成する。この頃から第2期黄金時代を支えた千葉茂、川上哲治らに衰えが目立ち始め、水原は新旧交代をしなければならなくなった。
翌1956年もリーグ優勝を果たし、日本シリーズでは水原と入れ替わりに巨人を退団した三原脩監督率いる西鉄ライオンズとの対決となる。以後3年連続して日本シリーズで対決となり、両者の戦いは「巌流島の決戦」とマスコミに喧伝された。いずれもライオンズに軍配が上がり、特に1958年の日本シリーズでは、第1戦から3連勝するも、第4戦から稲尾和久の力投などで4連敗を喫する。1959年もリーグ優勝は果たすが、日本シリーズでは南海ホークスの杉浦の力投の前にストレートの4連敗を喫する。
そして1960年は、三原が当時6年連続で最下位だった大洋ホエールズ監督に就任し、再び「巌流島の対決」と呼ばれる。大洋は三原の手腕によって巨人と優勝争いを演じ、ついに巨人を破ってリーグ優勝し、巨人は2位に終わった。シーズン終了後水原監督は勇退した。この間、1958年に長嶋茂雄、1959年に王貞治がともに大きな期待を背負って入団。長嶋は1年目から本塁打・打点の二冠、打率2位と活躍した。
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